技術が発展して、いろーーーーんな事が可能になってる。なんでも検索することが出来て、なんでも便利に行える。
最近Twitter やFacebookなど、日常的にコンピュータの中での内容を友達と話すことも多くなった。
ある知人にTwitterはリアルな生活で言うとなににあたるものなんだろうね、という疑問をなげかけられた。
E-mail: 手紙
Blog: 記事
Twitter: ?
はて・・・一体なんだろう?
俺は「独り言でない一人言」と応えた。
直感で言ったけど、ホントにそうなのかなーなんてちょくちょく考えてた。今日のブログではその考えた結果をまとめてみようと思う。 個人的にTwitterが他のコミュニケーションツールと違うのは「時間軸」と「中心的」。
まず一つ目の「時間軸」について
結構「言葉」ってのが好きで、昔調べたことがある。
ある本には、
言葉の目的は情報伝えるためであり、その手段はいくらでもあった。匂いを出す、色を変える、動きで表す・・・などなど
ただ人間はその中から「音」を選んだ。このチョイスがまたなかなか良い選択。体力的にも、コミュニケーションの速さからしても。例えば匂いで情報を伝達する場合には一度匂いを出したら次の事象を伝えるためには場所を変えないといけないとか、いろいろ弊害が生じる。
てなことが書いてあったな。。。
そこでなんとなくおもった。このメリットは、なんとなくデメリットでもあると。。。
「愛してる」と人に伝えても、その言葉は残ることなく虚しく消えて行く。それを保存したいと思った誰かが「文字」を発明し、本や何かに「残す」方法を思いついた。(わからんけど多分文字のほうが言葉より後だよね?笑)さらには発展して「録音」という方法すら創りだした。
また言葉って言う「有限な材料」を用いて感情という(個人的な考えでは)「無限」に存在する概念を表現する際に、失われた情報というものが出てくる。言葉では表現できないそれらの空白を補うために人はそれをリズムにのせ、体を動かし、絵を描いて表現した。・・・・と自分が思っているのは今回はあんま関係ない。
でもでもそうやって情報の伝達方法ってのは 進化してきたんだと思うんだ。完全に個人の予想から入ってるけど。。。より正確に、自分の情報を伝えたい、より良いコミュニケーションがしたい、と
さっき「時間軸」が他のそれと違う、といったのは、ここから来てる。言葉が一瞬で消えるのに対して、本や絵は一生残る。じゃぁツイッターは?
ある意味電子化されているから、一生残る、けど明らかに下に埋もれたツイートを掘り下げる人なんていないし、それを誰もが分かっているから、「保存用」の発言はめったにしない。だからプライベートみたいな感じになるし、より親近感のある内容になる。ある意味、口から発する言葉と書き留める文字の中間ようなものだ。。。そしてその特徴はチャットとかにも顕著に見える。ただチャットと違うのは次の項目の「中心的」という概念
「中心的」
正直「時間軸」 と語呂というかリズムを合わせるためにこの言葉を使いました。。。。すんません
1番大きい意味は「自己中心的」の中心的
会話をする際に、他人のことを考えてない人なんてまずいない・・・はず笑 特に日本人
・・・・・ストレスのある社会ですよね、今の世の中 笑
いろーーんな人に気を使って・・・誰もが一回くらい「自分の好きなことやって楽しめてる人っていいなー」って思っている気がするんだ。。。Twitterはある意味発言を自分の好きにさせてくれる機会を提供してくれている・・・
愚痴って程でもないけど、Twitterの面白いところはなんでも言っていいところ。。。たとえばmixiとか、一応友達を意識する。。。もちろんtwitterもモラル的なところは意識しなきゃいけないのかもだけど「時間軸」でも言ったように、あんまり体裁を整えてつぶやかなくて良い。まーフォロワーが増えるに連れおっぱいーとか発言できなくなったのは事実だけど笑
んで自分の好きにつぶやいたことで、誰かが返事をくれたりする。ある意味、全然気を使わないコミュニケーションになっている気がするんだ。。。それが「自己中心的」の意味。
あえて「自己」を付けなかったのは語呂以外の理由に、@を付けてつぶやくと、その人を中心に出来るからって感じでする笑
多分最もわかり易い例が「金欲しー」とか「デートしてー」とか言うつぶやき。。。そんなにそゆこと言う人はいないと思うし自分も後者しかつぶやいたことないけど、 そんな事でも言えるのがTwitterのいいところ。。。たとえばだれかふたりきりの時にこんな事言った日にはたちまち勘違いされる。。。けど、拾いたいひとだけ拾ってってね、って感じのスタンスがツイッターにはある・・・
寂しがりにはもってこいのツールだよなーーー。。。かまってーって実生活では言えないけど、つぶやけば構ってもらえるし。。。
今まで自己中心的に言葉を発信する機会は、なんかアーティストとかジャーナリストとかにしか与えられていなかった気がするんだ。Twitter によってそれがみんなにも与えられた感じ。
こっから考えると、一つの仮説が・・・「より多くつぶやく人ほど、実際の生活では自己中心的な発言を出来ていない?」
もしかしたらあり得るかもなーーー笑
まぁこの二つが、個人的なTwitterの特徴。要は「情報の表現の仕方」が新しくて、「情報の伝え方」が一般の人には今まで無い形であった。。。
じゃぁなぜTwitterはそこまで流行ることになったのか?最初に多少技術が発展して、我々の生活は「便利」になった、と言った。けどTwitterが俺らの生活の何を便利にしたのか?
きっと今までの方法では、伝えていなかった情報ってのはたくさんあって、それらはTwitterの発明によって少しは減ったのかもしれない。
もし勝手な 想像をしていいなら、Twitterの画像バージョンや動画バージョン、もしくは音楽とか絵とか、そゆタイプのものもいつの日か流行る気もする。ブログが雑誌記事のように例えられる中で、自分がジャーナリストじゃないと思っても記事を書く人はいくらでもいる。それと同じ。
何万年も前から伝わってきたコミュニケーション方法ではいつしか満足できなくなって、あらたなコミュニケーションのプラットフォームを創りだす。それ自体は悪いことではない。。。でもでも、今回の原子力とかじゃないけど、これは明らかに「生物としてのコミュニケーション能力」をはるかに超えていると思うんだ。。。
まだまだ先は長い。。。けど「今あるもの」に満足をしないで新たなコミュニケーションの場をつくることで人はもっとより良くより深く人のことを簡単に知ることが出来る、自分のことを簡単に表現することができる。。。 でもその豊かなコミュニケーションの場を提供するのは同時に、危険なことだと思うんだ。実際の世界で無理して「寂しいよー」って言わなくても、Twitterとかが助けてくれるんだもん。。。そしたらもしかしたら人は実世界でそゆのに気づいてもらう努力をやめるかもしれない。女の子だって上目遣いしなくなるかもしれない。。。進歩だけど退化する部分もある。奥ゆかしさみたいなそゆのとか、きっと工夫はどんどんなくなる。いままで伝わりにくい何かを伝えるために本を描いていたのが、歌を歌っていたのが、それよりもっと気楽に表現出来るものを見つけてしまったばっかりにそれらを「作品」にすることなく表現しきってしまう。。。
100のインパクトが無い代わりに、1のインパクトを100回続ける感じ。。。
人間の心にもホメオスタシス、恒常性みたいなものがあるって聞いたことがある。悪いことの話とかだけど、すごいやなことがいきなりあったりしても、それは時間と共に薄れていく。。。危険なのは小さくても悪いことがずーーーっと続くこと。心に悪いものがどんどん溜まっていく感じ。
いい方向だとどうなんだろうな。。。
まーmixiとかの過疎化をみても分かるように・・・人は気軽なものを好む。。。たまに見た友達の力作日記もあんま見れなくなる。。。
そんな感じででっかいインパクトはすくなりそうだよね。。。
そしたら何が起こるか?毎日1のインパクトを得ることが普通になって、今度は2を求めるようになる。一生満足できないだろうなー。。。まーそれはそれでいいのかな・・・
いつしか体の中にコンピュータとか 埋めこむ日が来そうだ :(
まーいいけどな。ただ伝える内容がどんどん増えていって、10とか100とかをコンスタントに伝えることが出来るようになるかもしれない。。。ただそれでもおそらく人が思っていることを100%伝えることは不可能・・・かは分からないけどそうはなってほしくない。。。
月に兎がいるって考えてるほうが楽しい。月に何個クレーターがあるかとか数えてるより。
人が人のことをすべて知ったら、人は知らない何かに興味を示す。そなったらやばそう
読んでいただきありがとうございます^^
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