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2011/09/27

Wright and Maccarthyのフレームワーク, User Experience、ユーザエクスペリエンス について語る


今日のテーマはユーザーエクスペリエンス。

とりあえず、Wright と Maccarthy の書いた有名なペーパーを読んでアウトプットをまとめます。

ちなみに以下の
アフェクティブ・クォリティ—感情経験を提供する商品・サービス (JSQC選書)
に分かりやすくrefer されているのでそれを若干参考にもしています。

なんか今、ユーザーエクスペリエンスについて語れる人になろうとしているのですよ...まずは手始めに。。。


彼らはフレームワークを作成しました。Experience を4つのスレッドと6つのフェーズに分類したのです。

まず、The four threads of experienceという4つのthreads についてです。
thread をどう日本語訳していいのか今の段階では分からないのですが、プログラムとかする人にはなじみのあるかもしれないいわゆるスレッドと見て良いでしょう。4つ独立に経験するのでなく、それらが経験というものの中に全て横たわっているイメージ。

1. The compositional thread
Compositional は調べると、合成の、とか組成のとかって意味ですね。

文中には
the compositional structure of an experience is that aspect which is concerned with part-whole structure of an exprerience
〜〜
If you are asking questions like; "what is this about?" , "what has happened?", "what will happen next?", "does this make sense?", " I wonder what would happen if?" then you are thinking about the compositional structure of experience
とあるので直訳すると
合成構造の経験とは経験の部分全体の構造を考慮した側面の事である・・・??
これは何だ?、とか何が起こったんだ?何が起きるんだ?これは正しいのか?もし〜したら何が起こるんだ?とかいろいろ考えているとしたら貴方はCompostional Experience について考えています。

笑 何じゃそりゃw なにやら英語だけからだと意味とるの難しいよなー・・・

ここの訳は難しかったのでアフェクティブクオリティとかの言葉を使わせていただきます。
起こった出来事の理論的、合理的な理解や判断に基づく経験である。例えば経済的に価値のあるものか、やりたい事が効率的に行えたか、あるいは使いやすかったかなどはこのスレッドであり・・・
ほうほう。。。なるほど。つまり繰り返すと、理論的、合理的な理解や判断に基づく経験、という事ですね。最高の品質と言わないまでも、とても安い値段で買った椅子に満足している時とかに、「この値段でこれはいいな」と感じる満足等はここに入るのかもしれません。

2. The sensual thread

The "look and feel" of a physical artefact or a web page are part of what we refer to as the sensual thread of experience. More generally, the sensual thread of experience is concerned with our sensory engagement with a situation. The sensations in an experience which we variously term thrill, fear, excitement are sensual...
The look and feel of a mobile phone may be as important a determinant of our decision to become (or not to become) a mobile phone user as the functional possibilities it offers.

直訳すると
モノの見た目や触り心地やウェブページはSensual Thread of Experience と呼んでいるものの一部です。もっと一般的に言えばSensual thread of experience は私たちのシチュエーションに対する感覚的な没頭を考えたものです。スリル、恐れ、興奮など・・・
携帯電話の見た目や触り心地は使うか使わないかの意思決定する上で機能などと同じくらい重要である事も考えられるでしょう。
とあります。要は本能的に美しいとか心地よいとか恐ろしいとか本能レベルの処理が入る、もしくは五感を用いて体験する Experience のスレッドの事です。

3. The Emotional Thread

The emotional thread of experience includes anger, joy, disappointment, frustration, desperation and so on.
ってここだけでも十分かなと
The Emotional Thread of Experience は怒り、楽しみ、失望、イライラ、絶望などを含むThread の事です。
ここで若干感じるのが2 との違いかも知れませんね。恐ろしいとか他の感情ってどう違うんだ、と・・・アフェクティブクオリティでは、Norman の情報処理プロセスに分けて考えていました。これについてはいつか記載しようと思いますが、要は五感を使って感じたものとそう出ないもの、とでも言うのでしょうか?使っていて、自分の頭の中で考えてイライラが出てくるのと、商品を見た時にかっこいいとか、触った時に気持ちいいと思う感覚ってのは若干違うと思うんですよ。その違いです。
それらの違いを踏まえた上で、経験の中に怒りや楽しみのような感情があるときそれはEmotional Thread と言えるでしょう

4. The Spatio-temporal Thread

All experience has a spatio-temporal thread. Actions and events unfold in a particular time and place. when we are rushed we may feel frustrated and perceive space as confined, closeting. In addition, emotional engagement can make our sense of time change, hours can fly by in minutes. 
直訳は
全てのExperience はSpatio-Temporal Thread を持つ。行動やイベントは特定の時間、場所で展開される。急いでいる時はイライラを感じ、スペースが狭いと感じます。また気持ちの入れようで時間の受け取り方はいかようにも変わります。何時間もがまるで何分かのように感じられる事もあるでしょう
 とあるように、このスレッドは時間や場所について感じるような経験
アフェクティブクオリティの例では夜車を運転し、好きな音楽を掛けながら心地よいドライブを楽しんでいる時に時間を忘れて楽しみに没頭していたとしたらそれはSpatio-Temporal Thread を経験している事かもしれません、と書かれています。

以上が4つのスレッドです。
Compositional, Sensual, Emotional, Spatio-temporal

そして次に、6つのフェーズについて紹介したいと思います。
6つのフェーズは以下のように分かれています。
訳語は本を参考にしています。

1. Anticipating
商品、サービスとまだ直接接触していない段階。

2. Connecting
最初に接触した段階、第一印象を決定づけるのはこの段階

3. Interpreting
解釈する段階。あ、この商品こうなっているのね、とか・・・


4. Reflecting
もうすこし深く考えた際の評価。いい車だな、とか

5. Appropriating
自分への適応。これはいいけど・・・自分には合わない、とか・・・

6. Recounting
 人に広めてあげよう、とかそういう段階はここです。

以上の事をまとめると、UX とかいろいろ言っても1個じゃなく、表にするとこんなに沢山ケアするところがあるのですよね。。。






以上が wright と maccarthy のいうユーザーエクスペリエンスです。

なんでこれをrespect するなら、俺エクスペリエンス気にしてもの作った!

とか言った時に、このフレームワークに当てはめる事でどこをケアして、どこをケアしていなかったかが分かるようになるかもしれません。。。

ちなみに参考図書



勝手に使っちゃって申し訳ありません。

----追記-----
the compositional thread の所なのですが、研究室の人と話していたときに別のわかりやすい捉え方もあったので紹介します。
ようは部分だけでなく全体を見る、という事。
レストランの中のデコレーションは、その食事を美味しく感じさせるかもしれません。それはデコレーションだけの評価でも、食事だけの評価でも成し得ない経験だと言うことです。
たとえば商品の段階まで落としこむと、経験とは違うかもしれませんが似た考え方ができそうです。
グラスとかをお店で見たときにカラフルでおしゃれだな、と思って私は購入したことがあります。高かったので1つだけ。
でも家に帰ってそれを見ると、あれ?って感じでした。
店の中に置いてある他の商品との調和、もしくは他の色のバリエーションの中に存在することでその商品はよい経験を私に提供してくれていましたが、それがひとつになった瞬間に、僕を満たすものではないとわかりました。

なんとなく、こんな感じで伝わるでしょうか?
ただこれだと最初に説明した説明とはかなり違ってしまう気もするのですが、つまり部分だけでなく全体を考慮した経験である、と言えると思います。

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User As A Co-Designer | デザイナーとしてのユーザ

今日のタイトルは
User As A Co-Designer | デザイナーとしてのユーザ

下の写真を見てください




 幼稚園入園のママ必見 上履きの裏技 ってとこから勝手に引用してしまいました。。。
個人的には「これぞデザイナー」って感じの一品。
この輪っかは子供の指が入るように設計。子どもが靴をはくときに 簡単にかかとの部分を引き上げることが出来るようにしたもの。。。素敵ですね。これで誰の上履きかもすぐ分かるようになるし女の子ならリボンをつけたりして可愛くしてもいいし。。。なんかいろんな発想が出てきそうです。

そう。ユーザは時に誰よりもユーザのことを理解しているデザイナーなのですよね。もちろんただ受け入れ、理解していないこともあるはずですが・・・そんな時はデザイナーが単に切り口を与えるだけで、簡単に理解は深まるはずです。

デザインとはEmpathetic だと誰かが言っていました。同調とか、思いやりとかが近いのかな。

私自身ビジネス経験など微塵もないけども・・・
文献とか見た人と話していてなんとなくこんな感じかなって思って図書いてみました。

なにを表した図かも分からない・・・

いろんな立場から見れる、世の中の流れ?




Empathetic はユーザとデザイナーとの間に生まれるものであり
Experience はプロダクト・サービスとユーザーとの間に生まれるものであり

次のImplement はこじつけだけれども・・笑 なにかE から始まる何かが欲しかったw



Design
とはUser とDesigner の中のEmpathetic によって生まれるものであり

Display ってのはその商品をどうユーザに見せるか。商品とデザイナー(会社?)によってその見せ方の戦略などは如何様にも変わってくる。
その商品の強みを押し出すのか値段を押し出すのか、そしてユーザは何を受け取るか。
美しさかかっこ良さか・・・などなど


Measure 測定、問題点の発見
はそのExperience を見ることによるものでありそれがDesigner の理解を深めさせ新たなユーザ理解につながる


ただEmpathetic はUnderstanding の方が良いのかもしれない。マーケティング的な要素を含むという意味を多少深めて。。。こゆことかな








適当だけどなー。。。なんかこんな事考えていました。
競合とかクライアントとかそゆのが入って来ればいくらでも変わるんだろうけどなーー


デザインてのはデザイナーのものでは無いのですよ。そんな私の意見

デザインに興味があったら
ME310
のとこにある記事も読んでください

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2011/09/18

2種類のデザイン



デザインの定義ってのは・・・まだ自分にはこれ、ってものは無い。
友達はデザインてのは「プロジェクト」からなるものだ、と言っていた。(デザインとアートその1 参照)
これは一理あると思う。

芸術とはある種のメッセージのような物だと認識している。
そしてデザインの定義に共通しているのはかならず「人」や「ユーザ」を考えているところだと思う。

今回のブログで書きたいことはデザインの中には、2種類のコンポーネンツあるよねって話。もちろんもっとあるかもしれないというか確実にあるのだけれども、同じデザイン、といったときに今回書く話が如実に違いの現れた例であると思うのでこれを記載しまする。


今回これを書くに至ったのは、友達と「名刺のデザイン」について語り合っていたときそんな議論があったから。

名刺ってのはいろーーーんな種類がある。

たとえば「おもしろ名刺」ってぐぐるだけでいろんなデザインの名詞が出てくる。
おもしろ名刺を集めてみるー  などが一例

たとえばそこには洗濯バサミでできた





こーんな感じの名刺とか、他にもいろんな楽しい名刺が揃っているので見てみるだけで楽しい

自分の会社はこんな感じ、自分はこんな人間だ。だからそれをアピールする名詞を作って欲しい!とくに印象にのこるようなやつ!って誰かに言われたとする。それは、明らかにデザインプロジェクトである。

今認識されている what is design って、個人的にはこういったプロジェクトなきがしている。Client のニーズを聞き出し、これを具現化する。ロゴのデザインとか。これが、一つ目のデザインである。いわば Design for Client

もうひとつは何か?これと逆からのアプローチである。

逆とは?今回はもう少し名刺くんのadventure について考えると、もう1タイプ関わる人が浮かび上がる。そう、名刺を貰う人である。
たとえば先程の洗濯バサミの例・・・確かにそれは印象的で、その名刺をもらった人はその人を覚えてくれるかもしれない。でもでも・・・・例えば一日に何人もから名刺を貰う人が、何百個も洗濯バサミだのはさみだのって名刺をもしもらったとしたらどうだろうか?なんか・・・って感じだと思う。
そしてその後名刺はどうなるか?きっと最初は厳重に保管されそのうち捨てられてしまう。すこしの後ろめたさと同時に。。。

じゃぁ例えばだけど先ほどと逆の発想で言えば、捨ててもなんの罪悪感も覚えない名刺、もしくは捨てたくなるような名刺、のようなも名刺の受け取り手の事を考えた名刺ってのもある種デザインプロジェクトである。or いくら貰っても邪魔にならない名刺、とか・・・
いわば Design for Users

本来デザインてのはuser の為のもので、Design for Users なんて 「お箸 for ご飯」 みたいな冗長なことなのかもしれないけど、なんとなーーーく・・・デザインのもつ「for ユーザ」の重みがあんまり重くない気もしてしまったのでなんとなく書いておきました。



もちろん・・・2つを備えてこそデザイン。両方やらなきゃいけないけど、さらに最近はDesign for Environment とかいろんな social な面を持ったデザインとかも考えなきゃいけないのだろうけど、最近こんなこと考えていました。


なんか当然の事だけどなーー。。。なんとなく書いておきました。

ーーー追記ーーー
質問とか話で説明しなきゃいけないことが多々あったのでもうすこし。。。
ここに書くだけでは足りないけれども・・・

例えばカメラをデザインしようってなるとする。。。
そしたら、カメラはもちろんユーザに向けてデザインされなくてはならない。
使いやすいように、とか持ちやすいようにとか・・・カメラに関してはこれが当然なのかな・・・
そしてそのカメラはどこかのメーカーから作られたもので・・・そのメーカーはおそらく自社のイメージを持っている。そのイメージからはずれないようなデザインでなくてもならない。たとえばソニーとかであったら、おもちゃのようなカメラはきっと出さないだろう。
この例でも2つのコンポーネンツを見ていることが分かる。

たとえばでも、ロゴデザインとかは若干Design for clients のみに寄っている気もする。。。

そして先程の例での名刺をもらう人ってのはEnd user では無いんですよね・・・
でもまぁ。。。最終的に受け取る人ってことで・・・

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2011/09/16

ペットボトルのキャップを外させるデザイン | 面白デザイン



引越し終わってやっとインターネット使えるようになりました・・・よかったー・

そんな新居での初ポスト。

先日富士急に友達と行ってきたのだけどもその帰り道のコンビニでこんなゴミ箱があった


なにげなくここにおいただけなのかもしれないけど、キャップ用のゴミ箱をちょうどペットボトルの入り口の部分に付けたというだけのデザイン。

ただ・・・これが面白いほど効果がありそう。自分は普通に何もせずペットボトルを捨てようと思ったけどもこれを見て、あ、みんなやってるんだなーだからやろう、とかそんな気にさせられた。

これがもし隣とかにフタ用のゴミ箱が置いてあるだけだったらキャップは外さなかったと思う。なんとなくだけど・・・


それとおそらく、というか今見ると入っているボトルの数よりもキャップのほうが多いんじゃないかってくらいキャップが多いのも作戦なのかもしれないなーーー・・・

そもそもペットボトルのデザインをなんとかして欲しいよな。。。

キャップとボトル自体同じ素材とかに出来ないのかな?そしたらキャップ外さなくて済みそうなのに。。。
 硬さ的にキツイのかなーー。まいいや。

とにかく、久々の投稿は街中で発見したいいデザインでした :)


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2011/09/11

Make10 4つの数字で10を作るアンドロイドアプリ


4つの数字で10を作るandroid のアプリケーションをこの間作りました。
アンドロイドマーケット から無料でダウンロード出来ます





画面はこんな感じ。一応10以外の数字でも遊べます。100だろうが1000だろうが・・・
昔はきっぷの下に書いてある数字で遊んでいたけども最近きっぷ自体買わなくなってしまったので・・・こんなんあってもいいかなーと思って作りました。

人間工学を学んでいるものとしては明らかにアウトなインターフェイスになっているとは思います。next を押せば次の数字のセットで遊べるのは良いとして・・・

だれもMake10 のロゴの部分とか =10となっている数字の部分を押せるなんて思いませんよね。。。

そのうち改善しようかなーくらい思ってます・・・

ただ今までにないくらい初動というか全然ダウンロード数のびてないですw
もし興味あったら遊んでください :)

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2011/09/06

被災地で聞いた話



スコップ団さんの活動に先日参加してきました。被災地の復興をいち早く願いそれに向けて活動する方々です。
日帰りで行ったので実質参加出来た時間は4時間くらい。だから今日書くのはボランティア大変だったーとかそゆ本気で毎日やっている人に対して失礼な事ではなく、その現場にいた一人の女性から聞いた話。

あ、ちなみに活動の参加については、正直足手まといになってしまうのではないかと心配ではあったけども、自分たちでも役に立てているな、と実感出来るほど人手が必要な作業だった。自分は4時間でもつかれたーってなってしまうくらいへたれていたのに、団長さんとかはそれを倍以上、しかも毎週のようにやっているとなると本当に大変だろうな、と頭が下がる。

友達に誘われて言ってきたのだけれども、本当に行って良かった。また行こうと思う。







本日書くのは休憩の際に話した一人の女性との10分程度の会話の内容。何となくこれは書き留めておきたいと思ったので書かせていただきます。

その方はその被災地の隣町出身で今は横浜のほうで働いている。でも毎週のように夜行バスに乗って土曜日から参加し、日曜日の夜行で帰って月曜日から仕事、という事を繰り返しているらしい。(もしかしたら土曜の夜行で日曜だけかもです。でもそのくらいハードに活動に参加していました)たまに新幹線も使うと言っていたけれども。。。



自分が参加した活動内容は、「家を綺麗にする事」だった。津波の被害にあった家の中でモノは破損し、土砂がたまり、内装は崩れ、家としての外観はあるものの人が住むにはほど遠い環境だった。その中から全てモノを撤去する、という事を行った。本当に使った形跡のある生活品、雑誌やノート、DVD、タンス、コップ、皿、湯のみなど突然と襲った津波が、時間を3月のまま止めていた。
それらの活動はもう一度そこに住むことが出来るようにするため。それがそのとき分からなかった自分はその女性に、これはなんの作業か尋ねた。その女性は、やっぱりこの土地で生まれて育った方は、このようになってもここにもう一度住みたいと思う人が多い、という。だからこそもう一回それをするお手伝いをするのだと。この地域では役所的なものがそこまで機能していなくてこういった半年経った今でも何も手を付けられていない所は多いのだという。


だからこそ、このスコップ団さんはこんなにも力強く働いているのだろう。


この地域では地震の際に停電もあったらしい。それによって被害を被った方々も多いそうだ。30年前にもこの土地では大きな地震があったらしく、そこに住むみんなが地震に対しては対策をしていた。しかし情報が届かない中での津波の被害は防ぎようがなかったらしい。

一面を見渡せるような広大で平らな土地。津波も止まる事なくより遠くへ進んでしまっただろうと安易に想像もつく。

その女性の家は大丈夫だったのかと聞くと、被害は家の瓦が壊れ、そして車検?に出した
車が流されてしまった程度だと言う。もちろんこの被害も大きいけども、命があったことは不幸中の幸いであると思う。 流されてしまった程度、というのも失礼な話ではあるのだけれども。

ただ・・・その壊れた瓦を直しにきてくれた職人さんとの話を教えてくれた。その職人さんには娘が居た。そして津波が来た時にその存在も早くに知る事ができ逃げる事も出来たらしい。ただその娘さんは家に寝ていたおじいさんをおいては行けないと引きとどまってしまい今はおじいさんとともに行方が分かっていない。その職人さんがどうやって助かったのかは分からないけども、心の優しい人が助からないなんて悔しい話だね、とその女性は言っていた。

俺の文章じゃうまく言えないなー。でもそれは自分が初めて「被災地」で「被災者の声」を聞いた瞬間だった。



何が出来るか分からない。とりあえず俺に出来るのはこの事実を伝える事と、自分で体を動かす事くらい。


なーんて4時間くらい参加しただけの自分に偉そうなこと書く権利なんてないけど・・・震災はまだ終わっていないんだなって身を以て感じた。