2011/09/06
被災地で聞いた話
スコップ団さんの活動に先日参加してきました。被災地の復興をいち早く願いそれに向けて活動する方々です。
日帰りで行ったので実質参加出来た時間は4時間くらい。だから今日書くのはボランティア大変だったーとかそゆ本気で毎日やっている人に対して失礼な事ではなく、その現場にいた一人の女性から聞いた話。
あ、ちなみに活動の参加については、正直足手まといになってしまうのではないかと心配ではあったけども、自分たちでも役に立てているな、と実感出来るほど人手が必要な作業だった。自分は4時間でもつかれたーってなってしまうくらいへたれていたのに、団長さんとかはそれを倍以上、しかも毎週のようにやっているとなると本当に大変だろうな、と頭が下がる。
友達に誘われて言ってきたのだけれども、本当に行って良かった。また行こうと思う。
本日書くのは休憩の際に話した一人の女性との10分程度の会話の内容。何となくこれは書き留めておきたいと思ったので書かせていただきます。
その方はその被災地の隣町出身で今は横浜のほうで働いている。でも毎週のように夜行バスに乗って土曜日から参加し、日曜日の夜行で帰って月曜日から仕事、という事を繰り返しているらしい。(もしかしたら土曜の夜行で日曜だけかもです。でもそのくらいハードに活動に参加していました)たまに新幹線も使うと言っていたけれども。。。
自分が参加した活動内容は、「家を綺麗にする事」だった。津波の被害にあった家の中でモノは破損し、土砂がたまり、内装は崩れ、家としての外観はあるものの人が住むにはほど遠い環境だった。その中から全てモノを撤去する、という事を行った。本当に使った形跡のある生活品、雑誌やノート、DVD、タンス、コップ、皿、湯のみなど突然と襲った津波が、時間を3月のまま止めていた。
それらの活動はもう一度そこに住むことが出来るようにするため。それがそのとき分からなかった自分はその女性に、これはなんの作業か尋ねた。その女性は、やっぱりこの土地で生まれて育った方は、このようになってもここにもう一度住みたいと思う人が多い、という。だからこそもう一回それをするお手伝いをするのだと。この地域では役所的なものがそこまで機能していなくてこういった半年経った今でも何も手を付けられていない所は多いのだという。
だからこそ、このスコップ団さんはこんなにも力強く働いているのだろう。
この地域では地震の際に停電もあったらしい。それによって被害を被った方々も多いそうだ。30年前にもこの土地では大きな地震があったらしく、そこに住むみんなが地震に対しては対策をしていた。しかし情報が届かない中での津波の被害は防ぎようがなかったらしい。
一面を見渡せるような広大で平らな土地。津波も止まる事なくより遠くへ進んでしまっただろうと安易に想像もつく。
その女性の家は大丈夫だったのかと聞くと、被害は家の瓦が壊れ、そして車検?に出した
車が流されてしまった程度だと言う。もちろんこの被害も大きいけども、命があったことは不幸中の幸いであると思う。 流されてしまった程度、というのも失礼な話ではあるのだけれども。
ただ・・・その壊れた瓦を直しにきてくれた職人さんとの話を教えてくれた。その職人さんには娘が居た。そして津波が来た時にその存在も早くに知る事ができ逃げる事も出来たらしい。ただその娘さんは家に寝ていたおじいさんをおいては行けないと引きとどまってしまい今はおじいさんとともに行方が分かっていない。その職人さんがどうやって助かったのかは分からないけども、心の優しい人が助からないなんて悔しい話だね、とその女性は言っていた。
俺の文章じゃうまく言えないなー。でもそれは自分が初めて「被災地」で「被災者の声」を聞いた瞬間だった。
何が出来るか分からない。とりあえず俺に出来るのはこの事実を伝える事と、自分で体を動かす事くらい。
なーんて4時間くらい参加しただけの自分に偉そうなこと書く権利なんてないけど・・・震災はまだ終わっていないんだなって身を以て感じた。
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ボランティアに参加して被災地の方の言葉や状況を残す事は素晴らしい事だと思います。偉そうでもなんでもないと思うよ。だって事実やもん。
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