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2011/11/20

Product Personality という概念 by Patrick W. Jordan (2002)


前回Product Personality と言う概念と愛着 (Goves, Mugge, 2004)というポストの中でプロダクトパーソナリティというものをJordan も言っていた!と書いたのでそれについて探ってみる事に。。。

どうやらJordan が始めに言ったのは1997 年のContemporary Ergonomicsとか言う本?雑誌?らしいのですが手元になかったので

Pleasure With Products: Beyond Usability (Contemporary Trends Institute)
って2002年の本から見る事にしました。

このPleasure with products という本の中でJordan はまるまる1章をthe Personality of Products という話に使っています。

2011/11/15

Norman の3つの情報処理プロセス


UX 男子を目指すにあたって、、、Norman の話は触れておかなければ行けないでしょう。

ノーマンは我々の情報処理のプロセスには以下の3つのレベルがあると言いました。

2011/10/22

経験の要素と経験の階層


今後UX に様々なユーザーエクスペリエンスについての初見を貯めていく予定です。

この間KBC さんにお世話になった際に、Ziba Tokyo の平田様 のお話を聞くことがあった。

その時平田様は経験の要素として以下の4つを上げていた

経験の要素
  • 楽しむ Entertain
  • 教育 Educate
  • 触発 Inspire
  • 関与 Involve

そして経験の階層として

  • 緊張興奮 Suspense
  • 驚き Surprise
  • わかりやすさ Simplify
  • 満足 Satisfy
と言うものを上げていた。

経験の要素とはまた面白い。そゆ論文はまだ読んだことないかな。経験が感情からなるものだ!みたいなことを言っている論文を参照している論文は読んだけれど・・・

経験の階層、という物もオモシロイと思った。
ただ満足の上にわかりやすさが来るというのはちょっと疑問だけども、たしかにわかりやすさの上に驚きが来るのは面白い。そしてお化け屋敷とかでいうと緊張とか興奮とか驚きを超えてあるよなー。。。すこしネガティブなものも入っているのかな??高齢者がコンピュータを使うときの感覚は、一番上なのかな。

さっきわかりやすさが満足の上に来るのが変な感じする、といったのはUsability家の思うところなのだろうかね。。。

まぁでも確かに満足、の意味を機能的な意味と捉えるとそうだな。basic なニードを満たすことでそれは満足につながる。そしてそれをさらに分かりやすくつくっていく。

経験の階層というよりはDesigner 側が狙っていく階層のように捉えられるのかもしれないなー。

こういう実践にいる人達は、学問の少し先を行っている人かもしれないと思ってる。特にDesign とかの分野では。これに共感できるようになったら面白いんだろうなーー

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2011/10/21

ユーザーエクスペリエンスの次を考える


現在よく言われるキーワード。それはユーザーエクスペリエンス。よくUXなんて言われますよね。今必死こいて色んな論文などを読みあさってUXについて語れる男になろうとしているのですよ。

ただそういう本、論文を読んでいて若干思った事があるので、また一学生の分際でちょっと記事書こうと思います。



ユーザーエクスペリエンスとはなにか
まずそもそもUser Experience とは何か??Wikipedia を見るとUser experience の定義は

ISO 9241-221 defines user experience as "a person's perceptions and responses that result from the use or anticipated use of a product, system or service".
とあります。
つまりISO は「プロダクトやシステム、サービスを使う、もしくはそれらを使う事を予想した際の結果起こる人々が感じる事、もしくは反応する事」と言っている(と思われる)。

現在様々な企業がこれらを考え、Designing Experience しようとしています。


自分自身87年生まれなので昔は、などというのは恐れ多い事なのですが、そもそも昔は全く別の考え方だったと思うのです。

「商品として、良いものを作ろう。 」
「いろんな新しい機能を持ったモノを作ろう」

そして世の中は機能バブルとでも言える時代に入りました。おそらく1990年代くらい 。

そして世の中にユーザビリティ、すなわちモノを使いやすいように設計しよう、という試みが取り入れられました。

それは商品のインターフェイス(ユーザが見ることの出来る、ふれあう事の出来る部分) などを考える事によって商品をよりよいものにしよう、という試み。

そして次にDesign Thinking に見られるような、商品の機能、もしくは商品のデザインを出来る限りユーザのニーズに関連するものにしよう、という試みがされてきています。

それらはオーバーラップするしかぶる部分もあるけども、デザイン思考等と同時にユーザーエクスペリエンスという概念も、現在着目されてもいます。

次世代のコンセプト

それでは次の世代に来るものはなんでしょう??
もしかしたら先ほど述べてきた路線でもう少しあるのかもしれないのですが、個人的に次の世代は

「おもてなし」

の用なものだと思っているんです。

例えば高級レストランに行く時、我々は正装をしたりします。
お茶等をする時には礼儀をわきまえたりします。

おもてなし、とはそれらの相互作用によって成り立つものであり、お互いに敬意をもってこそ生まれるものである。だが今は商品のレベルへは落とし込めていないと言えると考えています。

なぜなら今考えられている事は、いかに「商品側を変える事によって」ユーザーにとって良いものを作るかであるからなんです。今の商品開発の目的は
「ユーザの望む(であろう)ものを自社の強みを用いてユーザに悪い感情経験を与えないだけでなく良い感情経験を与えられるような商品を作り、ビジネスにする事」
であると思うんですよね。
だからユーザ側のリスペクトと言えばせいぜい高いお金を払ったから大事に使おう。誰々から貰ったから、大事に使おう程度なものなんですよね。

料亭など行った事ないですが、スゴい気の利く女将さんのいる旅館などを想像すると良いかもしれないです。何か自分の中で気持ちよく、心地よい感情経験を体験している。それは松屋のそれとは違う。何か自分なりにも準備して、そこに行きます。そして出来る限りの礼を尽くす。それによって非日常的な良い経験というものが生まれてくるのです。

若干個人的に近いかもしれないと思うのはiPhone。若干商品をrespect して商品を使っている人もいそうだからです。

ただおもてなしは、「心と心」の通じ合い。商品に「心」を持たせる事は難しいかもしれない。でも昔の偉人ソクラテスはこういいました(たしかソクラテスw)

友情とは2つの肉体に宿る1つの魂である

と。

商品と人との間に、魂が宿る事もあります。長年使い続けた小物など、普通のそれとはもはや違います。魂、他の言葉で言うなら僕は「場」と呼びます。
おもてなしを生むものも個人的な意見としては「場」 だと思っています。

その場ですら作り出してしまうような商品、それが今後の商品の発展系だと考えているのです。
ただ難しい所は女将さんはおそらく僕らの行動を変えようなんて思っていない所ですよね。「人事を尽くして天命を待つ」ではないですが、商品に最前の努力をつぎ込めばユーザ側の態度も変わってくるという事でしょうか?

ただ完璧な商品、と良い商品ってのも違いますよね。便利なものに行き着いて今自分はiPod を使っています。昔よく聞いていた音楽をそれで聴くと今でも、カセットテープで聞いていた時の事を思い出すし、A面からB面へ変わるタイミングではたまに構えてしまいます。なんとなく懐かしく喪失感が生まれる瞬間でもあるんです。

人でもそう。完璧な人よりも、何かしら愛おしいと思う部分がある人の方がモテたりする。それを計算した時点でアウトだから商品としてそういうのを作れるかは分からないけども、人の心に刺さる「何か」を見つけられたら素敵だなーって思ってました。

愛着、になるのかな。おもてなしってのはまた違うけどもモノと人との間に魂を感じられるような商品、そんなの出来てほしいものですな。。。

ただまだまだ、ユーザビリティの面でもUX の面でも分からない事、成し遂げられていない事は沢山。そんな時代はもうすこし先ですね。

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2011/09/27

Wright and Maccarthyのフレームワーク, User Experience、ユーザエクスペリエンス について語る


今日のテーマはユーザーエクスペリエンス。

とりあえず、Wright と Maccarthy の書いた有名なペーパーを読んでアウトプットをまとめます。

ちなみに以下の
アフェクティブ・クォリティ—感情経験を提供する商品・サービス (JSQC選書)
に分かりやすくrefer されているのでそれを若干参考にもしています。

なんか今、ユーザーエクスペリエンスについて語れる人になろうとしているのですよ...まずは手始めに。。。


彼らはフレームワークを作成しました。Experience を4つのスレッドと6つのフェーズに分類したのです。

まず、The four threads of experienceという4つのthreads についてです。
thread をどう日本語訳していいのか今の段階では分からないのですが、プログラムとかする人にはなじみのあるかもしれないいわゆるスレッドと見て良いでしょう。4つ独立に経験するのでなく、それらが経験というものの中に全て横たわっているイメージ。

1. The compositional thread
Compositional は調べると、合成の、とか組成のとかって意味ですね。

文中には
the compositional structure of an experience is that aspect which is concerned with part-whole structure of an exprerience
〜〜
If you are asking questions like; "what is this about?" , "what has happened?", "what will happen next?", "does this make sense?", " I wonder what would happen if?" then you are thinking about the compositional structure of experience
とあるので直訳すると
合成構造の経験とは経験の部分全体の構造を考慮した側面の事である・・・??
これは何だ?、とか何が起こったんだ?何が起きるんだ?これは正しいのか?もし〜したら何が起こるんだ?とかいろいろ考えているとしたら貴方はCompostional Experience について考えています。

笑 何じゃそりゃw なにやら英語だけからだと意味とるの難しいよなー・・・

ここの訳は難しかったのでアフェクティブクオリティとかの言葉を使わせていただきます。
起こった出来事の理論的、合理的な理解や判断に基づく経験である。例えば経済的に価値のあるものか、やりたい事が効率的に行えたか、あるいは使いやすかったかなどはこのスレッドであり・・・
ほうほう。。。なるほど。つまり繰り返すと、理論的、合理的な理解や判断に基づく経験、という事ですね。最高の品質と言わないまでも、とても安い値段で買った椅子に満足している時とかに、「この値段でこれはいいな」と感じる満足等はここに入るのかもしれません。

2. The sensual thread

The "look and feel" of a physical artefact or a web page are part of what we refer to as the sensual thread of experience. More generally, the sensual thread of experience is concerned with our sensory engagement with a situation. The sensations in an experience which we variously term thrill, fear, excitement are sensual...
The look and feel of a mobile phone may be as important a determinant of our decision to become (or not to become) a mobile phone user as the functional possibilities it offers.

直訳すると
モノの見た目や触り心地やウェブページはSensual Thread of Experience と呼んでいるものの一部です。もっと一般的に言えばSensual thread of experience は私たちのシチュエーションに対する感覚的な没頭を考えたものです。スリル、恐れ、興奮など・・・
携帯電話の見た目や触り心地は使うか使わないかの意思決定する上で機能などと同じくらい重要である事も考えられるでしょう。
とあります。要は本能的に美しいとか心地よいとか恐ろしいとか本能レベルの処理が入る、もしくは五感を用いて体験する Experience のスレッドの事です。

3. The Emotional Thread

The emotional thread of experience includes anger, joy, disappointment, frustration, desperation and so on.
ってここだけでも十分かなと
The Emotional Thread of Experience は怒り、楽しみ、失望、イライラ、絶望などを含むThread の事です。
ここで若干感じるのが2 との違いかも知れませんね。恐ろしいとか他の感情ってどう違うんだ、と・・・アフェクティブクオリティでは、Norman の情報処理プロセスに分けて考えていました。これについてはいつか記載しようと思いますが、要は五感を使って感じたものとそう出ないもの、とでも言うのでしょうか?使っていて、自分の頭の中で考えてイライラが出てくるのと、商品を見た時にかっこいいとか、触った時に気持ちいいと思う感覚ってのは若干違うと思うんですよ。その違いです。
それらの違いを踏まえた上で、経験の中に怒りや楽しみのような感情があるときそれはEmotional Thread と言えるでしょう

4. The Spatio-temporal Thread

All experience has a spatio-temporal thread. Actions and events unfold in a particular time and place. when we are rushed we may feel frustrated and perceive space as confined, closeting. In addition, emotional engagement can make our sense of time change, hours can fly by in minutes. 
直訳は
全てのExperience はSpatio-Temporal Thread を持つ。行動やイベントは特定の時間、場所で展開される。急いでいる時はイライラを感じ、スペースが狭いと感じます。また気持ちの入れようで時間の受け取り方はいかようにも変わります。何時間もがまるで何分かのように感じられる事もあるでしょう
 とあるように、このスレッドは時間や場所について感じるような経験
アフェクティブクオリティの例では夜車を運転し、好きな音楽を掛けながら心地よいドライブを楽しんでいる時に時間を忘れて楽しみに没頭していたとしたらそれはSpatio-Temporal Thread を経験している事かもしれません、と書かれています。

以上が4つのスレッドです。
Compositional, Sensual, Emotional, Spatio-temporal

そして次に、6つのフェーズについて紹介したいと思います。
6つのフェーズは以下のように分かれています。
訳語は本を参考にしています。

1. Anticipating
商品、サービスとまだ直接接触していない段階。

2. Connecting
最初に接触した段階、第一印象を決定づけるのはこの段階

3. Interpreting
解釈する段階。あ、この商品こうなっているのね、とか・・・


4. Reflecting
もうすこし深く考えた際の評価。いい車だな、とか

5. Appropriating
自分への適応。これはいいけど・・・自分には合わない、とか・・・

6. Recounting
 人に広めてあげよう、とかそういう段階はここです。

以上の事をまとめると、UX とかいろいろ言っても1個じゃなく、表にするとこんなに沢山ケアするところがあるのですよね。。。






以上が wright と maccarthy のいうユーザーエクスペリエンスです。

なんでこれをrespect するなら、俺エクスペリエンス気にしてもの作った!

とか言った時に、このフレームワークに当てはめる事でどこをケアして、どこをケアしていなかったかが分かるようになるかもしれません。。。

ちなみに参考図書



勝手に使っちゃって申し訳ありません。

----追記-----
the compositional thread の所なのですが、研究室の人と話していたときに別のわかりやすい捉え方もあったので紹介します。
ようは部分だけでなく全体を見る、という事。
レストランの中のデコレーションは、その食事を美味しく感じさせるかもしれません。それはデコレーションだけの評価でも、食事だけの評価でも成し得ない経験だと言うことです。
たとえば商品の段階まで落としこむと、経験とは違うかもしれませんが似た考え方ができそうです。
グラスとかをお店で見たときにカラフルでおしゃれだな、と思って私は購入したことがあります。高かったので1つだけ。
でも家に帰ってそれを見ると、あれ?って感じでした。
店の中に置いてある他の商品との調和、もしくは他の色のバリエーションの中に存在することでその商品はよい経験を私に提供してくれていましたが、それがひとつになった瞬間に、僕を満たすものではないとわかりました。

なんとなく、こんな感じで伝わるでしょうか?
ただこれだと最初に説明した説明とはかなり違ってしまう気もするのですが、つまり部分だけでなく全体を考慮した経験である、と言えると思います。

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2011/07/30

経験と言う名の授業

インターネットが普及していろーーーんな知識をweb 上から得る事が出来る。

これだけって思われるかもしれないけど、 [KNLog: ME310 を通じて自分なりのまとめ]の中に1年間学んできた事はほとんど書いた。。。と思う。

自分が頑張って得てきたものをこんなに簡単に公開してしまうのはもったいないとか、最先端な事を学んだのに秘密にしておきたい事とか正直若干あるけどでも公開したのはきっと今回のテーマで言いたい事が絡むのだと思う。


今の世の中何かを秘密に心に置いておいたとしても、頑張って調べればここに書いてある内容なんていくらでも手に入るだろうし何かを自分が思いついたとしても大抵の事はもう既にされている。

自分よりも頭のいい人だっているだろうし、文章書く事が上手い人もたくさん居るし、アクセスたくさん集める人もたくさん居るし、情報なんていくらでも転がっている。

そういった意味で情報の格差ってのはまー広がるって見方もあるけれども二極化してしまってる気がするんだ。そして二極化のうちのたくさん情報を得ている人が得る事の出来る情報量って、人と人との間にそこまで差は無いのではないかって思う。

今後インターネットを使わない人は居ないだろうし、そういった意味で情報は何でも転がっているような時代が来る。全ての人が同じ量の情報に、同じ確率でアクセス出来る可能性がある時代がくるんだ。
そしてその膨大な量の情報は google なのかどこなのかはわからないけどそれらの会社によって管理され、より精度よく誰も二届けられる。そしたら・・・今度は何が重要になってくるんだろう?

というか今そもそもこうやって自分が「知識の共有」として書いている事は将来どこかで価値となるのだろうか?

この間ENPC (Paris の大学) と Stanford でそれぞれ同じME310のプロジェクトをとっていた人と飯を食いにいった時に、今度は「経験」ってのが大事になるんだろうなって話になった。

確かになーーー。画面から「経験」を伝える事ってのはどうも出来ない。
たとえば自分が「ボールの蹴り方」をブログで丁寧に1時間くらいで読める長さに書いたとしても、それは実際にサッカーの練習を1時間した人の方がためになっているだろう。

学びて思わざれば、すなわちくらし。思いて学ばざれば、すなわちあやうし。

って孔子の言葉好きなんだよな。自分で考えてるだけじゃだめ!でも本とか読んだり教わったりしてるだけでも自分で考えなかったらだめ!両方しなさい!って意味なはずなんだけれども(間違ってたらごめんなさい)更にそこに経験しなきゃだめ!って事を付け足したい。まー孔子の言った「学ぶ」の意味の中に経験の概念も入ってるのかもしれないけど今だからこそいっそう強調して、経験という言葉を入れこみたい。

モノを知っているって事にどれだけ価値があるだろう?あるかもしれないけどそれに価値の重きを置いたらそれこそコンピューターの方が価値が出てきてしまう。何が出来る、に価値があるって訳でもない。その人の得てきた経験、そしてそこから出てきた個人の「考え方」にこそ価値が出てくるのではないか?




なんか話は哲学的になってしまうかもしれない。誰もが自分なりの哲学を持っているけど、それはおそらく経験から来た哲学。それは唯一のモノだし、それを嫌う人も好む人も居るだろう。例えば哲学書を100冊読んで積み上げてきたその人の哲学と、恋愛でもサッカーでも旅でも仕事でも頑張って自分で考えて掴んだものがある人の哲学、どっちが親しみやすいかで言ったら個人的には後者。大抵の人がそうだと思う。

哲学ほど非生産的なものはないかもしれない。俺の知り合いは片思いほど非生産的なものはないと言っていたけれども。
そんなの仕事とかには関係ないよーってなるかもしれない。

でも個人的な考えでは・・・人間の周りにはどこまで言っても人間が居て、何をしていても最後には人の考え方がモノを言う。何をしていてもどこに居ても、自分の行う事には「プロセス」が存在し、そのプロセスに当てはめられる「公式」は年々多様化していく。
だったら公式を何かから覚えるよりも、自分の哲学から「自分なりの公式」を毎回導きだせる事が今後必要となってくるのではないか??

彼女が出来るとこんなにいいんだぜーって誰かに言われるよりも、自分で体験した方が楽しいし分かりやすい。

デザインシンキングって何?って人に聞くよりも自分で体験した方が良い。

そこから導きだされる答えが人と同じとは限らない。でもそれを個人として大切に育てていく事、それを他人とぶつけ合って少しずつ変えていく事が人としての成長なのだと思う。


この記事もそう。形にしてしまう時点でおそらく他人にそこまでは伝わらない。同じような考えをもった人には伝わるかもしれないけども人の考えなんて100%伝える事は不可能だ。
それにこうやって考えている人は世の中にいくらでも居る。それを表現している人もいくらでも居る。だから「このブログも他の記事と同じようなこと言っているよ」って思う人もいると思う。ただそれでもいいんだ。この記事は誰かが言っていた事ではなく、自分の経験が導きだした、自分なりの答え。(とは言え友達との話の中からinspire されたのだけれどもw)この「答え」ってもっと丸く言えば自分なりの考え方。人と話してどんどんその形は変わっていくと思う。

でもこうやって何かの経験から何かを感じ取る、それに喜びを感じられるような生き方で居ようと思う。

そういった意味で「知識」や「スキル」以上に「経験」をくれたME310のプロジェクトには本当に感謝している。

経験を得る上で大事なのはおそらく「環境」。人生の中で自分ほど「環境」に恵まれている人は居ないんじゃないかってくらい自分は環境に恵まれていると思う。親もそうだし友達もそうだし学校もそうだし留学とかもそうだし。
今度は自分自身がそのような環境を作れる人として存在していきたいと思う。


なんだこの意思表明ブログw すいません。

留学とか旅行とかに限らず、「環境の提供」ってvision を持った会社ってのも大成するかもなーなんて思ったり・・・

(この記事は [KNLog: ME310 を通じて自分なりのまとめ] の中の1記事です)

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2011/07/27

インプットとアウトプット

日本人とフランス人、もしくは欧米の人全般かもしれないけどアウトプットの違いがとてつもない。

理系的に言うと
output = f(input) である事は誰もが納得してくれると思うんだけれども

fj(x) ・・・・japanese の関数
fe(x)・・・・europeanの関数
とするとおそらく
fe'(x) = 10fj'(x)  くらいある。

きもいなこのたとえ・・・

健全な形に話を戻しますw

例えば話しの仕方。

話を盛ると言ったら言い過ぎだけれども、とにかく伝えるのが上手い人が多い。政治家向きかな。
 ホントに少しの事でも大きくやったように話す事が出来る。

なんでこんなに上手いんだろうと思って聞いた事がある。特に文系出身の人に突出してその上手さはよく見られる。んで聞いてみた。
そしたら授業の一貫でSpeech があるらしい。
「AとBとC ってキーワードで10分間スピーチしなさい」
ってのを毎週?だか毎回の授業でだか分からないけどやるっぽい。
日本人的な感覚で言うとなんかムダだなーって思ったりするけどやっぱりプレゼンの時とか交渉の時とか、自分たちがこんなに大変な事をやったんだ、とか女の人を口説く時とか(?) かなり役に立っているのを見る。


Whereas 日本人はinput に重点を置く気もする。
関数f は社会に出てから見つけるという暗黙の了解、もしくはそこに関数があるかすら分からない。

例えば今回プロジェクトでArduino とか使って電子回路?的な電流とか電圧とかの計算をしまくってる人が居た。自分も物理のテストの紙の上に書いてあれば出来る自信はある。でもその機械を見て、ここがこれで・・・って実際に使う事は出来ない。それはfに代入するやり方を知らないから・・・ってことにしたら上手く説明つくかな・・・


東大からStanford に行った友達と話をした時もそんな事を行っていた。授業としては東大の方が難しい事をやってる。ただこっち(Stanford)はそれを社会で上手く使う方法を知っている、と。

それは自分も思う。「如何に社会に役立てるか」が勉強、もしくは工学の意義であるとしたらそれを教えないのは言語道断。。。。な気もする。


Franceの理系の大学では入ってすぐInternship を強要される。それも本当にいい仕組みだと思う。社会を知って、自分の学ぶ分野を明白にした上で勉強に従事する。
日本の社会はInput の社会。個人的には世界一だと思ってる。。。インドとかは分からないけど。。。

ただそれを関数に代入する発想すらない事が多い。自分たちの関数は紙の上にしか応用出来ない。

まーこっからだな!input が実は一番大変な作業だってことを本能的に知ってるんだと思う。だからそれを出来る日本人は強い!でもそれをoutput に変換しない事にはまさに宝の持ち腐れ。

という事でどーやってこれが使えるかってことを考えながら勉強していけたらなって思います :)

(この記事は [KNLog: ME310 を通じて自分なりのまとめ] の中の1記事です)


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2011/07/17

人間工学を知るためのキーワード 

エイ(木へんに世)出版社 さんの出した
Real Design (リアル・デザイン) 2010年 09月号 [雑誌]

で人間工学とデザイン、という特集をしていた。
その中にあった
「人間工学を知るための7つのキーワード」というものがとてもよくまとめられていると思うのでパクらせて引用させていただきます。

  1. エルゴノミクス; カラダについての人間工学がルーツ
    • 当初は人間の身体的な特性に会わせた製品や環境図栗についての研究の事をさしていたが、今では認知的特性への対応も含めたいわゆる人間工学全般をさす言葉として用いられるようになっている。
  2. ヒューマンファクター; 認知的特性から考えた人間工学
    • エルゴノミクスとほぼ同じだが、ルーツ的に心理学的なアプローチをする研究と言うイメージが強く、あえてその意味でのエルゴノミクスと名前を使い分ける研究者も居る
  3. ユニバーサルデザイン; 多くの人が使えるもののデザイン理念
    1. どんな人でも公平に使える事
    2. 使う上で自由度が高い事
    3. 使い方がすぐに理解出来る事
    4. 必要な情報が理解出来る事
    5. うっかりミスや危険に繋がりにくく、安全である事
    6. カラダへの負担が少なく、小さな力でも使える事
    7. 体格等に関わらず使いやすい大きさと空間を確保出来る事
  4. アクセシビリティ; モノや建物、サービスへのアクセスしやすさ

  5. ユーザビリティ; 製品の使いやすさの度合いを表す言葉
    • ヒューマンマシンインターフェイスやユーザインターフェースの評価において重要な基準
  6. ヒューマンマシンインターフェイス; 車等の機械との間の入出力手段
    • ユーザインターフェースが主にPC関連、それと対比して例えば車のダッシュボードのようなもの
  7. ユーザインターフェース; 主にPC関連機器との間の入出力手段
    • 人間と機械との間で情報をやり取りするための接面の事

エルゴノミクスやヒューマンファクターについては厳密にどこから来たかは知らなかった。カラダ的なものがルーツ、とかそゆのは聞いてはいたけどきちんと文章としてまとめたものを初めて見たので助かった。
ユニバーサルデザインとかについてはおじいちゃんとかも使えるような、誰にでも使ってもらえるもの、くらいにしか考えていなかったので7つの定義のようなものがあって驚いた。。。うーーん。一応こういう分野に居るのに全然知らないんだな俺・・・
万人に分かるように書いてあってシンプルなはずなのに新しい情報がたくさん入ってくる

ちなみにユーザビリティに関してはwikipedia などに詳しく載っている

定義

ISO 9241-11

1998年ISO 9241-11での定義。
  • ユーザビリティ (usability): 特定の利用状況において、特定のユーザによって、ある製品が、指定された目標を達成するために用いられる際の、有効さ、効率、ユーザの満足度の度合い。
    • 有効さ (effectiveness): ユーザが指定された目標を達成する上での正確さ、完全性。
    • 効率 (efficiency): ユーザが目標を達成する際に、正確さと完全性に費やした資源。
    • 満足度 (satisfaction): 製品を使用する際の、不快感のなさ、および肯定的な態度。
    • 利用状況 (context of use): ユーザ、仕事、装置(ハードウェア、ソフトウェア及び資材)、並びに製品が使用される物理的及び社会的環境。

ニールセン

ヤコブ・ニールセン『ユーザビリティエンジニアリング原論』(1994年)は、インタフェースのユーザビリティとは、5つのユーザビリティ特性からなる多角的な構成要素を持つとしている。
  1. 学習しやすさ: システムは、ユーザがそれを使ってすぐ作業を始められるよう、簡単に学習できるようにしなければならない。
  2. 効率性: システムは、一度ユーザがそれについて学習すれば、後は高い生産性を上げられるよう、効率的な使用を可能にすべきである。
  3. 記憶しやすさ: システムは、不定期利用のユーザがしばらく使わなくても、再び使うときに覚え直さないで使えるよう、覚えやすくしなければならない。
  4. エラー: システムはエラー発生率を低くし、ユーザがシステム使用中にエラーを起こしにくく、もしエラーが発生しても簡単に回復できるようにしなければならない。また、致命的なエラーが起こってはいけない。
  5. 主観的満足度: システムは、ユーザが個人的に満足できるよう、また好きになるよう楽しく利用できるようにしなければならない。

違い

ニールセンの定義するユーザビリティは、ISO 9241-11の定義よりも意味が若干限定的になっている。
ニールセンの定義では、ユーザが望む機能をシステムが 十分満たしているかどうか、といった事柄はユーティリティ(実用性)に含まれる内容である。そしてユーザビリティは、その機能をユーザがどれくらい便利に 使えるかという意味であり、ユーティリティとは区別してとらえている。これに対してISO 13407では、ニールセンがユーティリティと定義した内容も、ユーザビリティに含んでいる。つまりニールセンが定義するユーザビリティとは、ISO 13407が定義するユーザビリティに内包される形となる。

 二つの定義がある事は分かっていたけれども、おそらくニールセンの定義の方がよく使われているのでは?というのが率直な感想。ちょと論文読んでおきます。

あとは人で言うとノーマンとかが自分の研究室にはというかこの分野には欠かせない人な気がするな。
アフォーダンスの概念とかもたまに出てくる。
近いうち自分の中で「人間工学とは何か」と「自分はどの分野の専門家か」という質問には答えられるようにしておこう


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2011/06/27

誤解されたアフォーダンスについて 商品を使う前に感じること

ここで紹介されている記事がアフォーダンスという言葉の成り立ちを踏まえる上でとても役に立つ。というかとても良い記事。感動した。。。って2年前に両方共見た気がするからちゃんと理解してなきゃ駄目だったんだろうけど・・・・

オリジナルの意味のアフォーダンスが、「座れる/座れない」という物理的な関係性なのに対し、ノーマンの言うアフォーダンスは「座れそう/座れなさそう」という情報です。
この「〜そう」って表現ね・・・いいよなw


この間ツイッター上の僕のTLでこれについての議論があったのでとてもタイムリーでした・・・・と思いきやこれ5年以上前の記事なのか。。。orz 時代に追いつけてない・・・


昔研究室にmind model だっけな。って考え方を持ってきた人が居た。商品とか物を見てどうやって使うかとかそれを頭の中で考えること

あとは昔の・・・・what is beautiful is usable だっけな。。。あれに関わるusability と aesthetics の論文とか呼んでたときに pre-use usability みたいなイメージの話があった。要は見た目的に使いやすいかどうか。
ノーマンの行ったafordance って定義的に間違ってはいるんだけどそれを話しの中で持ち出したのはなんとなく分かる気がする。大事な概念だもんなーーー

使われる前に、使う前に、この商品がどのようなことが出来て、どのくらい使いやすくて、それらをイメージできるようにすることって大事な気もする。物理的にそれが使えるか使えないかよりも

それらを説明するために説明書があるわけだけど、説明書がいらない商品ってのがデザインの最終的な目標なんじゃないかな。。。わからんけど・・・

正直ただの覚書です。忘れないようにというか大事なリンクだったので取っておきたくてポストしました。


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2011/05/04

一人言と独り言の違い

あーーんまり、、、、、このトピックに突っ込んでいるひとっていなかったんだよなぁ


一人と独りの違いってな大きなもので・・・多分そこら辺について考えているひとってたくさんいるよな・・・


ただあんまり独り言と一人言についてあんまり書いてる人ってきっとあんまりいないと思うんだ・・・個人的な定義

一人言: 自分で自分に向かって言うんだけど、誰かに拾ってもらえたら拾ってもらおーって感じの言葉


独り言: ホントに誰もいなくても、自分で誰かとシェアするためでなく言ってしまう言葉。「くそー」とかがいい例かなー。。。


ただいただきますって一人でいても言うことあるよなぁ・・・
それはどっちにも含まれている気がする。自分の的に。
なんか別に宗教とかはないけど、何かに感謝の気持ちを伝えてる気がするんだ。。。それを言うことによって。



一人言のいい例が、Twitterとか・・・多分結構いると思うけど、人に聞こえるように「つかれたー」とか言う人とか・・・
その形のコミュニケーションて、ツイッター以前には着目されていなかったんだよなー。


一人言を言う時のコミュニケーションの形って、どんな感じのものなんだろうなー。
シカトしてもいいよ、適当に拾える人拾ってねってやつか。。。それがどうコミュニケーションを enhance するかとか考えるのっておもしろそうだな・・・・
初見の人にTwitterを使わせるのとface to face で話させるのと・・・とかとか・・・

一人ごとを拾ったときの話しの広がり用と、普通に話したときの広がりようの違い、
もつ印象、気まずさ、とかそゆのは研究のネタにすらなりそうだなーー笑


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2011/05/03

Tangible user interface と Augmented Reality

正直自分はまー・・・そんなにこゆトピックに詳しいわけじゃないけど、なんとなく個人的に熱くなりそうな分野であると認識している
AR (拡張現実) の世界と、それよりも早くから打ち出された、MIT の石井裕先生とかがやっているタンジブルのテクノロジーに付いての議論。。。

ちょっと並べるのは違うかもだけどなー。
Wikipediaに寄ると、ARは

拡張現実(かくちょうげんじつ)とは、現実環境コンピュータを用いて情報を付加提示する技術、および情報を付加提示された環境そのものを指す言葉。


tangibleとは
タンジブルユーザインターフェースTangible user interface)もしくはタンジブル・ビット(Tangible bits)とは、マサチューセッツ工科大学(MIT)教授石井裕が提唱するユーザインタフェースの形態である。
既存のコンピュータの概念を一新し、形のない情報を直接触れることができる(タンジブル)ようにした、より実体感のあるインタフェースである。


てなってる。
ちなみに石井先生はタンジブルのことを
「物理的な直接触れるメディアを使ってコンピューターと対話する」って表現してる

まー自分の認識でいうこれ!って言う動画あげておきます
一つはまずARに付いて


んでtangible




他にもいろいろ :)






片方は技術や環境で片方はインターフェイスてな感じなんだよなー
もともとタンジブルってiPhone とかが出てくる前に出てきたものだった気がする・・・たしかiPhoneはマイノリティ・リポートとかのインターフェイスの後に出てて、そのマイノリティ・リポートの有名なインターフェイスはMITとかから取ってきたとか。。。定かではない ><




ただ・・・タンジブルとは結構認識が違うのかもしれないけど、現実世界のデータとか操作をパソコンの中に読み込ませるって意味でこれらのタンジブルのテクノロジーを認識すると、タンジブル(?そういうものの名前ってあるのかな?拡張現実の逆で「現実拡張」みたいな感じ笑 とりあえずタンジブル(仮)と名付けさせてもらう)とARってのは若干逆な発想な気がするんだよな。。。写真とかをスキャナとかなしで取り込んでくれるとか、ノートに書いたふりだけでパソコンに取り込まれるとか、とかとかとかとか :)

これらを微妙にうまく組み合わせたものが前も紹介したsix senseて感じ( Pranav Mistry at TED; The Sixth Sense おもしろデザイン・・・)

ただ・・・six sense だけが全てではないし、これらをうまく組み合わせていくのが面白そうな気がするんだよなー :)

実世界の操作をパソコンに反映する、もしくは実世界のデータをパソコンに取り入れる「タンジブル(仮)」


パソコンのデータを実世界に表示する「AR」


ARで表示させるデータを触れるものにすることができたら????


そのうちそのアイディアを少なくとも1つは書いて見せよー。。。。
なんとなく出かかってはいるからなーーー><

もしかしたらIDEA blogの方に書くかもしれないけど・・・ (KNIdea)


とりあえずそんなことを思ってました :)


読んでいただきありがとうございます^^
コメント、もしくは評価ボタンを押していただけると幸いです。
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2010/06/24

M1ゼミ

今日はゼミがあった。


ゼミの内容は読んだ論文の紹介。

M1の2人と先生で行われるゼミ。


どんな論文読もうかかなり迷うんだよなぁ


ちなみにこの間は、Twitterの事について書かれた論文について読んだ。

Twitter Power: Tweets as Electronic Word of Mouth
JOURNAL OF THE AMERICAN SOCIETY FOR INFORMATION SCIENCE AND TECHNOLOGY, 60(11):2169-2188, 2009

Twitterを企業は有効に使えるか、とか系。
 まぁ2008年に書かれた論文だから、Twitterが爆発的にヒットした後の現在からすると少し遅かったイメージ


論文には、いくつかのツイートには商品等の感想や企業へのフィードバックが載っていたりする 。
ただでもむしろinformationのやり取りが多いので、顧客とのやり取りに使うとよい、とか、キャンペーンの告知とかには有効、とか書かれていた。

 
そういった意味では、孫さんのツイッターの使い方は、ビジネスに非常に良い影響を与えている。


今回読んだ論文、キーワードはAttractive。


Attractiveなモノとは何かという事に興味を持ってそこらへんの論文を読んだ。


多少論文はEcoに偏っていたけど、レビューは楽しかった。


読んだ論文のタイトルは


Key aspects of product attraction- a focus on eco-friendliness
(Int. J. Environmental Technology and Management, Vol. 8, No. 1, 2008)

という論文

  emotional link between the user and the product
  • material attachment
  • design and emotion
と書かれていたけど、material attachmentという分野は初耳だった。


すこし調べてみないとな。


他にもProductを5つの項目から成り立っている、という風に分けていたり、




なかなか目を引く部分もあった。


AffectiveなモノとAttractiveなモノ、どこで線引きがされるのか。



Wright & McCarthey のフレームワーク上で線引きをする事が出来るのか?


 そんな内容をゼミでは議論した。



ソクラテスの言葉で、
「友情とは、二つの肉体に宿る1つの魂である」


みたいな言葉があったけど、商品にもありそうな気がする。(ちょっと違うかもだけど)


商品自体が人の感情を想起する、人自身の問題で、感情が想起される。


商品と、人との間の何かが、人の感情を想起する。そんな感じか?


商品が、他の人、モノとの媒体になって 感情を想起する事も考えられる


ふむ。
哲学は昔から好きだった。



それが何となくだけど少しでも学問として繋がりそうになると、



俺はAffectiveなExperienceを体験する事になる