理系的に言うと
output = f(input) である事は誰もが納得してくれると思うんだけれども
fj(x) ・・・・japanese の関数
fe(x)・・・・europeanの関数
とするとおそらく
fe'(x) = 10fj'(x) くらいある。
きもいなこのたとえ・・・
健全な形に話を戻しますw
例えば話しの仕方。
話を盛ると言ったら言い過ぎだけれども、とにかく伝えるのが上手い人が多い。政治家向きかな。
ホントに少しの事でも大きくやったように話す事が出来る。
なんでこんなに上手いんだろうと思って聞いた事がある。特に文系出身の人に突出してその上手さはよく見られる。んで聞いてみた。
そしたら授業の一貫でSpeech があるらしい。
「AとBとC ってキーワードで10分間スピーチしなさい」
ってのを毎週?だか毎回の授業でだか分からないけどやるっぽい。
日本人的な感覚で言うとなんかムダだなーって思ったりするけどやっぱりプレゼンの時とか交渉の時とか、自分たちがこんなに大変な事をやったんだ、とか女の人を口説く時とか(?) かなり役に立っているのを見る。
Whereas 日本人はinput に重点を置く気もする。
関数f は社会に出てから見つけるという暗黙の了解、もしくはそこに関数があるかすら分からない。
例えば今回プロジェクトでArduino とか使って電子回路?的な電流とか電圧とかの計算をしまくってる人が居た。自分も物理のテストの紙の上に書いてあれば出来る自信はある。でもその機械を見て、ここがこれで・・・って実際に使う事は出来ない。それはfに代入するやり方を知らないから・・・ってことにしたら上手く説明つくかな・・・
東大からStanford に行った友達と話をした時もそんな事を行っていた。授業としては東大の方が難しい事をやってる。ただこっち(Stanford)はそれを社会で上手く使う方法を知っている、と。
それは自分も思う。「如何に社会に役立てるか」が勉強、もしくは工学の意義であるとしたらそれを教えないのは言語道断。。。。な気もする。
Franceの理系の大学では入ってすぐInternship を強要される。それも本当にいい仕組みだと思う。社会を知って、自分の学ぶ分野を明白にした上で勉強に従事する。
日本の社会はInput の社会。個人的には世界一だと思ってる。。。インドとかは分からないけど。。。
ただそれを関数に代入する発想すらない事が多い。自分たちの関数は紙の上にしか応用出来ない。
まーこっからだな!input が実は一番大変な作業だってことを本能的に知ってるんだと思う。だからそれを出来る日本人は強い!でもそれをoutput に変換しない事にはまさに宝の持ち腐れ。
という事でどーやってこれが使えるかってことを考えながら勉強していけたらなって思います :)
(この記事は [KNLog: ME310 を通じて自分なりのまとめ] の中の1記事です)
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