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2011/07/26

Catch me if you can, I am a Computer

最近ずっとME310のネタばかり書いていたのでちょっと変えてみる。


タイトルはパクリです。すいません

インターネットが世に広まってきて15年以上。
昔インターネットが出てきた時の事は何となく覚えている。

その当時8歳前後だった私も、Windows 95 とかそこら編の名前を聞くと懐かしいと思える。
じぶんが初めて使ったパソコンは覚えてないけれども、自分の家でWindows me がを使った時の感動は鮮明に・・・と言いたいところだが、なんとなく、覚えている。

もちろんそれ以前にそんなハイテク機械など家にはなかった訳で。自分になじみのあるディスプレイはテレビのみであり、機械といったらスーパーファミコンであった。そんな私に、パソコンというのは明らかに異次元への入り口であった。


共感する人も居るかもしれない。
昔、パソコンは何が出来るの?と聞かれたらすぐさま「インターネット」と答えた
インターネットってなに?と聞かれたら、あの青いe のマークに輪っかのついたようなあのInternet Explorer のアイコンの事だと思っていた。
そしてそれは同時に、Yahoo から始まるものだと思い込んでいた。


というよりも
パソコン=インターネット= yahooのトップ画面
であると思っていたといっても過言ではない。たまにゲームも出来るくらいだ。ただそれも、インターネットのおまけくらいにしか思っていなかった。
IE のアップデートとかをしてしまった暁にブラウザを開いてもyahooのトップ画面が出てこなかった日には、それはもはやインターネットでなくなってしまったかと思うほどだ。


いつ頃からトップページとしてgoogle を使いだし、レポートとしてword を使い、計算にexcel を使いだしたのかはわからない。いつから、パソコンは「インターネット」でなく、「なんでもbox」になったのかは分からない。
ただこれは明らかな前進である。この一見単純なようで大きな前進はとてつもないvision の変化である。なぜか?



私の名前はKenji である。
私はMichael でもある。
そして Robert でもある。



とまぁなんとなく3つの名前を書いてみた。
何言ってんだこいつ?と思った人も多いだろう。
もちろん私の名前はKenji だけだ。ただ先に述べた大きな前進とは、私にこの3つの名前、もしくはそれ以上があると本当に信じ込む事と同じなのである。

どういうことか?
今我々はパソコンを通じて、もちろんインターネットを通じてで色んなものを経験している。いろいろな情報にアクセスし、いろいろな操作を行っている。
ただ考えてほしい。パソコンがなかった時代の事を。
家には何があっただろうか?

寝るための布団
遠隔地と通信するための電話
明かりをつけるための電気
紙を送るためのFax
風邪を送るための扇風機
室温を調節するためのエアコン
時間を見るための時計

これらすべてがひとつの目的のために、ひとつのものが存在している。
つまりひとつの目的に応じてハードもひとつ存在する事が当然であったのだ。

まるで人間の名前のように。

ただパソコンはどうか?

Facebook を使い、Twitter を使い、ブログを使い、google を使い、word, excel, illustrator, photoshop, power point, keynote, .... 数えきれないほどのアプリケーションをひとつのパソコンという中で用いている。

携帯電話でも電話をし、メールをし、ゲームをし、・・・さまざまな事をしている。



それは実はインターフェイスを語る上ではとんでもない進歩なのではないかと勝手に思っている。

パソコンをひとつのインターフェイスとして考えると、パソコンはまさに何でもインターフェイス。


さっきの例でいえば、誰もがなにを疑う事もなく私の名前をKenji でありMichael でありRobert であると信じ込み、状況に応じて名前を呼び分け使っているようなもの。なんか恐ろしい進歩だなーって勝手に思ってしまったと同時に、それを我々や現代の子供は当然のように受け入れている事にも人間としての進化を感じる。
ただ一方でまだ パソコン=インターネット=Yahoo の様に思っている人も居るのではないかと思ってしまう。ひとつのハードに、ひとつのファンクション、のように


全てをひとつにつぎ込んできた時代から、どっちかというと今その逆の流れも出てきている。

例えば石井先生の提案するタンジブルの概念。

触れる情報、のようなイメージだけれどもこれは情報に触るためのファンクションを出来る限り直感的に、触れるものとして作っていこうというインターフェイス。

この方が「わかりやすい」とか「あつかいやすい」と思う事が多いのは動物としての本性として「1個のモノに1個の機能」の方が扱いやすいからか、「何でもインターフェイス」にしたが故に全てに対応する事が出来ていないからか分からないけど、今後もう少しまた「1個のモノに1個の機能」の方に流れが行くと思うんだよな。


俺ひとつの名前だけで十分だもん。

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