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2011/07/07

社会的プロブレムと個人的プロブレム〜デザインは人のニーズを満たして然るべき〜



〜デザインは「プロブレム」を解いて然るべき〜

というタイトルとは違うんです。

今回の話は、「プロブレムとは何か

ME310のプロジェクトで、自身のプロジェクトは新しい水/ゴミ処理に関するサービスを作り出す事。
さらにそのサービスはグリーンでなければならない、というプロジェクトブリーフを貰った
(ちなみにME310のプロジェクトに興味がある人用に書いておきますがプロジェクトの形は様々です。自分のは多少ビジネスより、他にもコンセプトを作るもの、技術を応用するものなど様々な形のプロジェクトがあります)
プロジェクトを進めていく段階で「プロブレムファインディング」を行った。
ユーザーを観察することで、もしくはユーザーにインタビューをする事でそのトピックに対して人がどのようなアプローチを持っているかを考えるためのもの。
そのプロブレムがいずれ「ニーズ」に変わるための重要な位置づけになるのは言うまでもない。

そこで見つかった問題の一つに
「フィードバック」ってのがあった。
フィードバックがないから、エコ活動が無力に感じる、だからやらない。
「じゃぁフィードバックがあったら人はもっとエコ活動出来るんじゃないか?」
ってのはおそらくエコ活動系のプロジェクトに取り組む人なら誰もが思いつくような話だと思う。
ただ・・・ちょっとそこで疑問に思う。
たしかに、フィードバックを貰えば、人はグリーンに活動する事が出来ていた。それはプロトタイプ等で実証した。(多分探せば研究でもあるはず)
ただそのフィードバックにお金を払う人はどのくらいいるんだろう??
もっといえば、それをユーザーにとってvaluable であるといってよいのだろうか??

そこにフィードバックがあれば、人に目的の行動を行わせる事が出来る。ただ、そのフィードバック自体がユーザーの望むものかと言われればそうでもない。


それではなぜ、プロブレムを発見したのにニーズを上手くつかみきれない、そのような「勘違い」が起きてしまったのか

確かにこのアプローチは「プロブレム」を解いていて、それを解決するためのある意味でデザイン的なアプローチである。
ただここで議論したプロブレムってのは、「人々がグリーンな活動をしていない」という問題。その問題をどのように解くのか???

その解はもちろん様々。ただ個人的な見解を言わせてもらえば、そこに問題意識を置く事時点でこれはもはやユーザーセンターのデザインではないのだ。

なぜならその「プロブレム」はユーザーのプロブレムではないからである

それは社会の作り上げた、勝手に言葉を作ってしまえば「社会的プロブレム」。
もちろん責任感の強い人は社会全体の作り上げた問題を解くために努力はする。そこにニーズがあるのもまぎれもない事実である。ただこれと(個人的に)対比させる事の出来るもう一つのプロブレムである「個人的プロブレム」と比べれば、そこに対するニーズの大きさは比べようもないほど違うのだ。

では「個人的プロブレム」とは何か?
それは例えば「お湯が最初でなくて冷たい」とか「ゴミが臭い」とか「ゴミ出し面倒」とかもっと言えば「パスタ作るのに時間がかかる」とか「起きるのがめんどくさい」とかそういった、個人それぞれがいやがるものや苦に思うもの。
デザインてのは「個人的プロブレム」を解いてしかるべきなのである
個人的プロブレムにはユーザーの「ニーズ」が必ず存在する。
そしてそこにはそれを解くための「ソリューション」もいくらでも存在する。
そのニーズを満たしてこそ、個人的には「デザイン」

そのソリューションの一つとして、「社会的プロブレム」も解いちゃえ、というアプローチが個人的にはとても魅力的なアプローチ。
もちろん答えなんてないし他にもたくさんアプローチはあるけど、個人的なプロブレムを、社会的なプロブレムを解きつつ解決していくって道が個人的にはすきでそんな事ばっか考えてた。

例えばシャワーを浴びるときに最初の1分くらいは水が冷たい。
それをたとえばだけど目覚ましと連携させて起きた瞬間にお湯を最初の一滴からだせるような準備をしておく。(欧米の人は朝シャワーなので・・・)
そしたら最初のシャワーで冷てっってなることがない(個人的プロブレム解決)
そしたら少なくとも1分は長く寝れる(個人的プロブレム少し解決??w)
そして毎日水の量も1分分は減る(社会的プロブレム解決)
さらにたとえばシャワーを浴びているときにコーヒーの準備でもいいしバスの時間を出すでもいいし、なんかいろいろ手伝える事したり出来たら・・・とか
ちなみに1分水の量が減ったらかなり水の使用量は減るけど、その分電気代とかかかってしまいそうだよな・・・改善が必要な案だけど、なんとなくそんな感じのアプローチ

他にも例えばパスタを短い時間で作れる機械を発明しようってなれば、個人的プロブレムは解決、んで社会的プロブレムも熱的な観点で見ればエコだったりする。

よくわからないけど、個人的にvaluable なデザインってののメインなフォーカスは「個人的プロブレム」に当てていないといけない気がする。


プロトタイプの限界の章にあるように、プロトタイプは形にしたものを改善する、もしくは評価するのはとてもいい。ただそれ自体が本当にいいものかどうかってのは測れない・・・かもしれない。

(この記事は [KNLog: ME310 を通じて自分なりのまとめ] の中の1記事です)


読んでいただきありがとうございます^^
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2 件のコメント:

  1. 社会的プロブレムを解決する時は、個人的プロブレムを解決されないと社会的プロブレムが機能しない。最終的に製品やサービスを使用するのは個人だから、個人的プロブレムは解決されて然りな気がする。社会的プロブレムを解決する時に個人的プロブレムをいかにして見つけるか。この方法とかあったっけ?

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  2. うーん・・・社会的プロブレムとか個人的プロブレムって言葉自体俺が勝手に作ってしまった言葉だからそういう議論はなかったと思う。ただ人のニーズってのに応える努力をしなきゃいけないって考える時点で、フォーカスは個人的プロブレムにいく気がするんだよね。
    プロジェクト次第だけど俺らの主旨はある意味個人的プロブレムを解いてさえいればいいって感じじゃないかな・・・

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