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2010/06/29

自分の世界の宝物

さっきの ブログ内容←これね に関連して、むかーし書いた日記を公開しておこう



俺はいろんなこと考えるのが好きなんです。考えて、学んで、自己満で終わるのかもだけどいろんなこと考えるのはほんと楽しい

言葉ってすごいよね。世界を作っています。でも現存する言葉以上に俺たちは感情を持っているから、人は感情を詩に載せたり歌に載せたりリズムに合わせて体で表現したり・・さまざまな表現の仕方をするんだろうな


神経心理学という授業で、人は見えないものも見ている、というようなことをやった。それは何らかの障害で視野の半分を失った人とか、半分に対して 注意を向けることができない人の話なんだけど・・・その人たちは視野の見えない部分にある情報を、なぜか取得している事があった・・・きっと俺らにもそういうのはあるんだろうな。友情とか愛情とか魂とか命とか、目に見えないものだけどそ こにあるってなんとなくだけど感じるもの、もしかしたらお化けとかもだけど、きっと目に見えないだけでそこにしっかり存在しているんじゃないかって。赤い 糸なんておしゃれな発想、あながち嘘じゃないのかな。

空間とは何かものが存在しうる場所。時間とは何か目に見えないものが存在しうる場所。こんなこと考えてたら哲学者カントも同じようなこと言って た。時間の絶対量はゼロである、って。ようは、時間なんてないってことかな。じゃあ今とは?人は今と昔を確かに感じながら生活してるけど・・・時間を作り 出しているのは自分、世界がどこから来たかとか時間はいつから始まったのかとか、あくまで一つの解釈だけど、時間も空間も、自分が作り出したもの。なかな か思い通りにいかない世の中だけど、それは全部自分のもの。自分にしか変えられないし誰に見せることもできない。世界は自分で歩いて行くしかないんだ。

でも・・・自分の世界だけど、たまに人が入ってくるよね。君の世界はこうなんだ、俺のと似てるね。大変だけど頑張ろうね。とか、君の世界は素敵だ ね、私のはどう?とか・・・世界にいるのが自分一人じゃない時、一緒に分かってくれる人が居たってわかったとき、人は一つの宝物を得る。

形が見えなくても、自分たちはその存在を認識していて、その宝物のありがたみを感じます。でも、もしその形が見えたら、触れられたら、それほどう れしいことはないんじゃないかな。だから、好きな人には好きって、大事な人にはありがとうって、素直に言えることは大事だよね。それはきっとその人の宝物

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