ヘッダー

このエントリーをはてなブックマークに追加

2012/09/29

理解させるデザインと感じ取らせるデザイン 〜混乱してはいけない「アフォーダンスの概念」と「理解のしやすさ」〜


先ほど ”良いデザインの必要条件「なるほどファクター」”という記事の以下の文章を見て、アフォーダンスの概念について思い出したと同時に、それについて考えた時になんとなく違和感があったので忘れないように記載します。(※ 自分のアフォーダンスに対する解釈に違和感があっただけで、なるほどファクターの記事自体に違和感があるわけではないです。)多分アフォーダンスについて詳しく知りたい、とか分かりやすさについて考えたい!とか考えているヒトには考える切っ掛けになる記事かもしれないとは思うのですが、結構マニアックな記事なので退屈かもと思います。
素晴らしいデザインとはつまり、消費者が考えることなく一目見ただけでツマミやボタンの使い方がわかるものなのだと。なるほど、このツマミは音量アップ、でなければホームスクリーンの表示、といったように。


アフォーダンスについてはKNLog: 誤解されたアフォーダンスについて 商品を使う前に感じることで昔も取り上げたけど、有名になったのが誤解された解釈だったから今でも間違って捉えているヒトは多いかもしれない。その中で他のブログからの引用したアフォーダンスについての説明。
オリジナルの意味のアフォーダンスが、「座れる/座れない」という物理的な関係性なのに対し、ノーマンの言うアフォーダンスは「座れそう/座れなさそう」という情報です。
オリジナルの意味のアフォーダンスって概念を出したのはたしか80年代くらいの J.J Gibson で、まさにそれは座れる、座れない、の物理的な意味。

そういった意味で、はじめはアフォーダンスの話だな!と考えていた「なるほどファクター」についての文章はGibson の言うアフォーダンスの意味からは外れてはいます。なぜならそれは、一目見ただけで「理解」出来るか否かであるから。ギブソンの言うアフォーダンスに「理解」は含まれない、的な話をこないだ研究室で議論しました。例えばこの椅子に座れる、座れない、というのは判断するようなものではない。理解でなく、感じ取るモノである。(もちろんボロボロの椅子とかだったら考えるかもしれないけど)取っ手があったら引く、ノブがあったらまわす、とかはもはや反射的な感覚で、モノが物理的に自分たちに何を提供するか、という概念。

Display の中に潜むアフォーダンス


アフォーダンスの概念がディスプレイの中に入ってくると、解釈という観点で個人的にはとても厄介なことになってくる。例えば下のiPhone の環境設定のボタンを見て欲しい


このボタンは明らかに「スライドさせられる」ということがわかる非常に良いインターフェイスだと思っている(Usability 的にサイズが小さくて押しづらいとかはあるのかもしれないけど)。ただバッテリー残量(%)オンってなんだ?って疑問もある。

だからこの「物理的にどのような操作を取ればこれが別の状態になる」、というものの分かりやすさと、「そのアクションをした後に何が起こるか、それが何を意味するのか」、の理解しやすさは別の概念なのである。 アフォーダンスは前者に関連する概念で、そのインターフェイスが物理的に何をすることが出来るか、というモノを指す。この例で言えば、スライドさせることが出来る、という事実である。
だからおそらく最初の
素晴らしいデザインとはつまり、消費者が考えることなく一目見ただけでツマミやボタンの使い方がわかるものなのだと。なるほど、このツマミは音量アップ、でなければホームスクリーンの表示、といったように。
の文章で感じた違和感は、
  • ツマミやボタンの使い方がわかる⇒アフォーダンス関連
  • このツマミは音量アップ、ということがわかる⇒理解しやすさについて
という2つが自分の中でごっちゃになったからだと思います。

だからここで言う「素晴らしいデザイン」を目指すのであれば 2つのことに気をつけなければいけません。1つはそれをどう扱えば状態が変わるのか、というアフォーダンス関連、もう1つはそれをすれば何が起こるのか、という理解しやすさ関連です。

「アフォーダンス」と「分かりやすさ」


ここから更にマニアックになります。好きな人だけどうぞ。自分でもわからない観点なので誤植等有りそうなのは許してください。

個人的にアフォーダンスの理解がごっちゃになってわけわからない、と言っているのは主に先ほどの「スライドさせることが出来る」という事実について。

例えばディスプレイの中でなく現実世界であれば、座れる座れない、入れる入れない、転がせる転がせない、などの物理的関係は簡単に把握することができる

しかし一度ディスプレイの中に入ってしまうと、スライド出来そう、出来なそう、にかかわらずスライド出来る出来ない、という事実を持たせることが出来るのだ。そうするとそこにこれのインターフェイスは物理的な動きとして何が出来るのか?という「分かりやすさ」という新たな概念が入ってくることになるのでは?という疑問が私の混乱。

もっとわけわからなく言えば、ディスプレイの中にある1つのオブジェクトは実際には我々に「押す、長く押す、スライドさせる、タップする、フリックする、etc 」のように様々なことをアフォード (≒提供) している。なぜなら我々はそのものに対してそれが「出来る」からだ。(モノが動く動かない、対応しているしていないに関わらず。例のアイフォンのスライドのやつも、クリックしようと思えばできますよね。動く動かないに関わらずですが)
ただそのように多くの可能性の中から一つのアクションを選び、実行させる鍵は、モノの見た目、狭義のデザインにほかならない。

特に先ほどのiPhone の環境設定の際のボタンなどは、見た目から「押す」などは連想されず「スライドする」ということを感じ取らせることが出来る。つまり他のものをアフォードしていないように見せるデザインであるのだ。

これをもしかしたら直感的なデザインと呼ぶのかもしれないけど、分かりやすさの話と、アフォーダンスの話、個人的には境目がすごい曖昧。誰か教えてください 笑

ちなみにアフォーダンスを理解するという記事には以下のように書かれている 
アフォーダンスをうまく活用することによって「いちいちその使いかたを説明しなくても、ユーザーが適切に使ってくれる」というメリットが期待できるからです
オリジナルは、ギブソン博士によるもの(「Real Affordance」「客観的アフォーダンス」とも呼ばれています)ですが、Webユーザーインターフェース設計においては、D.A.ノーマン博士によ るもの(「Perceived Affordance」「主観的アフォーダンス」とも呼ばれています)がポピュラーになっています。

 主観的アフォーダンスって言葉は初めて聞きました。ただ確かにそっちで考えると、ある程度しっくりきますね。

とりあえず今のところこんなことを考えていたってのを忘れないように記録しておきます。なんか何が言いたいかわからない記事ですいません

0 件のコメント:

コメントを投稿